てくてく歩いて、嘆きの壁へ向かう。
途中のエルサレム考古学博物館へ向かう階段のところで猫を発見した。
金色のメノーラ?ろうそく立ての像。
階段を下りていくと、セキュリティゲートに到着。
ここは城壁の中の南東に位置する。
壁の向こう側には金色に輝く、岩のドームがある。
バスで直接来ることができるんだな。
セキュリティゲートをくぐり、広場へ。
嘆きの壁 24時間オープン 無料
ここのセキュリティゲートはたいして混んでいない。
テロ防止のためイスラエル兵による手荷物検査が行われている。
ユダヤ教の安息日、金曜日没後ー土曜の夕方までは写真撮影が禁止。
あと、結構暑いのだけど、ノースリーブとか、短パンはだめな模様。
壁に近づくちょっと手前にきっぱと言われる、帽子がおいてあり、これを取って見学する。
このキッパのおいてあるところに、いかにも喜捨狙いの人が立っているけど、スルーして問題なし。
これはあまり日本人には当該しませんが、新約聖書を持っていると入れません。
感動の壁とご対面。
この壁は別名、西の壁ともいわれている。
この名前の由来は岩のドームの西側に位置して壁が建てられているためだ。
岩のドームはこの壁の向こう側にあり、それを守るように、嘆きの壁が立っている。
これらの建造物は、バビロン捕囚により帰還した人々が建てた。
そして、
この岩のドーム、今でこそイスラム教によって再建されたの聖地となっているが、かつてはユダヤ教の神殿があった場所だった。
もともとこのような壁がドームの全周を囲うように建てられていたのだが、ローマのティトス将軍によって、岩のドームも壁も破壊されて、西側の壁だけが残った。
崩壊した後は、ユダヤ人には年に1度だけこの神殿への来訪が許され、その来訪の旅に、帰郷の夢をこの壁に祈るようになった。
昔から毎年、崩壊した日には多くのユダヤ人が集まり、神殿の再建とメシアの来臨を断食しながら祈る。
岩に挟まれた手紙は、人々の悲願を記した紙切れなのだ。
夜になると、石の間にたまった夜露が壁の隙間から流れ落ちてくる。
その様子がまるで涙を流すユダヤ人の姿を映しているようであり、嘆きの壁と言われるようになった。
1948年からは隣国ヨルダンの管理下に置かれ、ユダヤ人はこの壁に近づくこともできなかった。
1967年の6日間戦争の後は自由に祈ることができるようになった。
壁の高さは21mあり、下から7段目は1900年以上前の当時からのもの、その上はローマ時代に付け足されたもの。
その上の細かい石は、マムルーク朝時代のものだ。
地下には、さらに17段石が埋められているという。
その後は岩のドームに向かう。
イスラーム地区。
Suq-Al-Qattanin
市場の中を抜けると、岩のドームはすぐ、
と、思ったら、ここからは抜けることができないらしい。
出口のところで、イスラエル兵士がガッチリガードしていた。
戻って、モロッコ門からどうぞ。
一旦壁に戻ると、修学旅行なのかな?イスラエルの女子高生がいた。
奥に見える、通路のようなものを通り、壁の向こう側へ行く。
この通路からだと、壁の様子がよく見える。
そうそう、壁のお祈りは、男女別になっています。
女性のほうはおもいきり日蔭。
実際はかなり暑いので、日陰のほうがいいと思います。
岩のドームのある、神殿の丘に到着。
この兵士が立っている場所が、先ほどのスークからの出口。.
ここを通過できるのは、お祈りに来たイスラム教徒のみ。
昔は参道になっていたんじゃないかな?と思う。
伊勢神宮のおかげ横丁的な。
神殿の丘、7:30-14:30 無料
夏場は10:00-12:30に昼休み、13:30にクローズ。
冬場は、11:00-13:30に昼休み。
金土祝日 ラマダン期間中の午後もクローズ
この神殿の丘は古くからソロモンの神殿があった場所とされ、ダビデが神の契約の箱を置いた場所ともいわれている。
現在残っている土台部分(写真では地面)はヘロデ王によって紀元前20年に建てられたもので、2000年前にはイエスも頻繁に訪問していた。
新約聖書では、イエが絶命したときに、神殿の至聖所の幕が切り裂かれたという話がある。
この神殿の丘は、現在はイスラム教のものになっているが、かつてはいろんな宗教が支配していた。
691年にウマイヤ朝の最高指導者カリフ アブドゥル マリクによってイスラーム寺院 モスク(岩のドーム)が建立されてから、この地はサウジアラビアのメッカやメディナに並んで、聖地となってしまった。
彼の立てた、岩のドームは今ではエルサレムのシンボルになっている。
岩のドームご対面。とてもきれいに装飾されている。
当然、イスラム教徒しか中に入れない。
ここはイスラム教徒の預言者、ムハンマドが天使を従えて天馬に乗りしたという伝説がある。
内部に露出した岩の部分があり、その上部にはムハンマドの足跡と大天使ガブリエルの手の跡と言われているものが、残っている。
岩の下の洞窟には、聖人が祈りをささげたところがあり、魂の井戸と言われている。
最後の審判の日には、ここにすべての魂が集まる。
北の門正面の床にある、緑色の石は天国のタイル。
ムハンマドはこの石に19本の金の釘を打ち込み、この釘がすべて外れると、地球は(エジプトのような)カオス状態になるという。
現在では残り3本。
ドームは大理石の柱で支えられていて、色、高さ、厚さ七度はすべて微妙に異なる。
これらは、さまざまな時代に増改築をしてきた故、こうなったといわれている。
礼拝堂は691年にアラブ軍がエルサレムを征服した記念に建てられた。
その後、1522年にオスマン朝のスライマーン1世によりペルシャで焼いたブルーのタイルを張る装飾を加えて、1964年にはドームに金メッキ処理を施し、現在のような姿になった。
ユダヤ教の聖地でもある、この場所にはユダヤ教に伝わる話が別にある。
ここはアブラハムがわが子のイサクを神に捧げるために来た、モリヤの丘だとしている。
この広場には、ほかにも様々な見どころが点在している。
また、イスラーム地区の散歩を再開します。